夕方になると「家に帰る」と言い張って、止めると怒り出す。玄関に向かって外に出ようとする。気づけばずっとそわそわして、あなた自身もくたくた——。
そんな経験、ありませんか。
私は看護師として8年、介護福祉士として7年、合わせて15年、認知症の方と現場で向き合ってきました。夕方の「あの時間帯」に困り果てるご家族を、本当にたくさん見てきました。
この記事では、なぜ夕方にそうなるのか、そして家族として今日からできることを、できるだけわかりやすくお伝えします。一人で抱え込まないための情報として、ぜひ読んでみてください。
「夕暮れ症候群」とは——現象の通称であって、独立した病名ではありません
「夕暮れ症候群」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。ただ、これは医学的に確立した独立した疾患名ではなく、夕方から夜にかけて認知症の方に見られる一連の行動や症状を指す現象の通称です。
正式な医学用語では「BPSD(行動・心理症状)」と呼ばれる症状のひとつとして捉えられています。BPSDとは、認知症に伴って現れる記憶障害などの中核症状とは別に生じる、行動面・精神面の変化のことです。
具体的にはどんな症状?
夕暮れ症候群として多く見られるのは、以下のような症状です。
- 「家に帰りたい」と繰り返す(帰宅願望)
- 部屋の中をそわそわとウロウロしてしまう
- 急に怒り出したり、感情が不安定になる
- 理由もわからず泣いたり、強い不安を訴える
- 夜になっても眠れない
珍しいことではありません
2024年に公表された推計では、日本の認知症の方は約443.2万人とされています(内閣府「令和6年版高齢社会白書」、2022年時点の推計)。認知症の介護では、こうした夕方の落ち着きのなさを含む行動・心理症状(BPSD)を経験するご家族が多いと報告されています。
つまり、夕方の落ち着かなさは、認知症介護において非常によくある経験です。困っているのはあなただけではありません。
なぜ夕方に起きるのか——複数の原因が重なっています
「夕方になるとスイッチが入ったみたい」とよく言われます。実は、複数の原因が絡み合っていることが多いです。
① 体内時計の乱れと脳の変化
人間の体には、1日のリズムを刻む「体内時計」があります。この体内時計を司るのが、脳の中にある「視交叉上核(しこうさじょうかく、SCN)」という部位です。
認知症が進むと、この視交叉上核の機能が低下したり、神経の働きに変化が生じると考えられており、体内時計のリズムが乱れやすくなります。また、眠りを促すホルモン「メラトニン」の分泌も減少すると考えられており、昼夜の区別がつきにくくなることがあります。
ただし、これらのメカニズムはまだ研究段階の部分も多く、「これが原因」と断定できるものではありません。複合的な要因のひとつとして理解しておくことが大切です。
② 夕方の照度低下・疲労・身体的な不調
夕方は自然光が弱まり、室内が薄暗くなります。視力が低下しやすい高齢の方にとって、この照度の変化は状況認識を難しくします。
加えて、1日の疲れが溜まる夕方は、認知症の方にとっても「混乱しやすい時間帯」です。
さらに見落とされがちなのが、身体的な不快感です。
- 空腹
- 水分不足(脱水)
- 便秘による腹部不快感
- 腰痛・関節痛などの痛み
これらが重なることで、漠然とした不安や落ち着きのなさとして表れることがあります。
③ 「帰りたい」の本当の意味
帰宅願望は、単に「自分の家に帰りたい」という意味ではないことが多いです。
現場で感じてきたのは、「安心できる場所・時代に戻りたい」という気持ちです。子育てで忙しかった時代、夫が仕事から帰ってくるのを待っていた頃——そういった「自分が安心できた記憶」が、夕方になると呼び起こされるのかもしれません。
現場コラム①
夜勤中の夕方4時、玄関に向かおうとする利用者さんがいました。「娘が待ってるから」とおっしゃる。でも実際には、今いる場所への漠然とした不安が、かつて安心だった記憶を引き出していたのかもしれません。「帰りたい」の裏には、何らかの不安や不快が隠れていることが多いと感じます。
せん妄との違い——混同すると緊急対応が遅れます
夕暮れ症候群と混同されやすいのが「せん妄(せんもう)」です。せん妄とは、身体的な病気や薬の影響などで脳が一時的に混乱する状態のことです。
この2つは対応の緊急度がまったく違います。 見極めが大切です。
せん妄は見逃せないサイン
せん妄は、発熱・脱水・尿路感染症・薬の副作用などが引き金になることが多く、背景に治療が必要な身体疾患が隠れている場合があります。
「いつもより変だな」と感じたとき、せん妄の可能性があれば、早めにかかりつけ医に連絡することが大切です。
【比較表】夕暮れ症候群 vs せん妄
| 比較項目 | 夕暮れ症候群 | せん妄 |
|---|---|---|
| 症状の出方 | 夕方〜夜に決まって出やすく、翌朝は落ち着くことが多い(繰り返す) | 急に(数時間〜数日で)現れる |
| 意識の状態 | 比較的保たれている | 曇りがちで変動する |
| 時間帯 | 主に夕方〜夜 | 夜間が多いが昼間も起こりうる |
| 主な原因 | 認知症による脳の変化・環境要因 | 身体疾患・薬・脱水など |
| 緊急性 | 慢性的な対応が中心 | 高い(原因の治療が必要) |
※「夕暮れ症候群かな」と思っても、急な変化やいつもと違う様子がある場合は、せん妄(体の病気が背景にあること)の可能性があります。迷ったら早めにかかりつけ医へ。
家族ができる対応3つ——今日から試せること
完璧な対応はありません。でも、少し工夫するだけで夕方の混乱が和らぐことはあります。
① 日中に光を浴びせる・生活リズムを整える
日中に自然光を浴びることで、体内時計のリズムが整いやすくなると考えられています。晴れた日には窓際でお茶を飲む、短い散歩をするなど、無理のない範囲で取り入れてみてください。
なお、強い光を浴びる「高照度光照射療法」についても研究が行われていますが、効果については結果が一貫しておらず、ご家庭で自己判断で行うことが勧められる段階ではありません。気になる場合は主治医に相談してみてください。
② 夕方の環境を整える
薄暗さが混乱を招くことがあります。日が暮れて薄暗くなる前に、室内の照明を早めに明るくしておくだけでも、落ち着きが変わることがあります。
また、影が多い環境は不安を高めることがあるため、間接照明なども活用して「影の少ない空間」をつくることを意識してみてください。夕方のニュースなど、刺激が強い音も控えめにするのが現場でよく言われる工夫です。
③ 身体的な不快感を確認してから声をかける
「帰りたい」と言い出したとき、まずやることは身体のチェックです。
- トイレに行きたそうにしていないか
- 水分はとれているか(脱水気味でないか)
- 痛そうな様子はないか
- 空腹ではないか、食事はとれているか
- 便秘が続いていないか
- 部屋が暑すぎ・寒すぎないか
- 発熱はないか、薬を変えた直後ではないか
これを確認してから声をかけると、本人の不安が落ち着くことがあります。否定せず、まず気持ちに寄り添うフレーズも参考にしてみてください。
現場コラム②
「まず体を診る」が現場の鉄則です。「帰りたい」の裏に、トイレを我慢している、お腹が空いている——そんなケースを何度も経験しました。本人は言葉にできないから、行動で訴えているんです。
やってはいけない対応
困り果てたとき、つい取ってしまいがちな対応があります。でも、それが逆効果になることもあります。
① 叱る・論破する・無理に引き止める
「もうここが家でしょう!」と叱ったり、「さっきも言ったでしょ」と正論で返したりしても、認知症の方には伝わりにくく、かえって混乱と怒りを強める場合があります。
無理に力ずくで止めることは、原則として避けたい対応です。本人の尊厳を傷つけますし、2024年1月に施行された「認知症基本法」が掲げる「本人の意思の尊重」の理念とも相いれません。ただし、道路への飛び出しなど差し迫った危険があるときは、まず安全の確保を優先し、落ち着いてから専門職に相談してください。
② 嘘を重ねすぎることへの注意
「お父さん、今から帰ろうね」と言って気をそらすことが有効な場面もあります。ただ、嘘を重ね続けることで本人が混乱したり、信頼関係が崩れることもあります。
どう対応するかに「これが正解」はありません。その日、その瞬間の本人の状態を見ながら、柔軟に判断することが大切です。
こんなときは受診を——見逃さないでほしいサイン
日常の延長として対応できる場合と、医療が必要な場合があります。以下のサインは早めに主治医・かかりつけ医に相談することをおすすめします。
① 急に変わった・ぼーっとしている・高熱・水分が取れない
「いつもとなんか違う」という直感は大切にしてください。
- これまでなかった症状が急に出た
- 呼びかけに反応が鈍い、意識が曇っている
- 高熱がある
- 水分をほとんど取れていない
これらはせん妄や身体疾患のサインである可能性があります。一人で判断せず、気になる症状は主治医・かかりつけ医に相談してください。
② 介護者自身が限界なのも、重要なサイン
「こんなこと続けられない」「もう限界かもしれない」と感じているなら、それはあなたが頑張ってきた証拠です。限界を感じること自体、恥ずかしいことではありません。
介護者が消耗しきってしまうと、本人のケアの質も下がります。あなた自身のケアも、介護の一部です。
一人で抱えない——使える相談窓口
① 地域包括支援センター(無料)
お住まいの市区町村に必ず設置されている相談窓口です。介護保険の申請、ケアマネジャーへのつなぎ、専門家への相談など、幅広く対応してくれます。費用はかかりません。
「何を相談すればいいかわからない」という段階でも、話を聞いてもらえます。
② レスパイト——介護者が休むための制度
デイサービスやショートステイを使って、一時的に本人をプロに預けることを「レスパイト(一時的な休息)」と言います。
「施設に預けるのは逃げではないか」と感じる方も多いです。でも、休むことは逃げではなく、長く介護を続けるための大切な工夫です。現場で長年見てきて、無理が続くと介護する側の心身の不調につながりやすいと感じています。
まとめ
- 「夕暮れ症候群」は医学的な独立疾患名ではなく、認知症に伴う行動・心理症状(BPSD)の現象の通称です。
- 夕方の落ち着きのなさは、体内時計の乱れ・照度低下・身体的不快感など複数の原因が重なって起きます。
- せん妄とは原因も緊急性も異なります。急激な変化があれば早めに受診を。
- 「帰りたい」には身体チェックを先に。否定せず、環境を整え、昼間に光を取り入れることが基本的な対応です。
困っているのは、それだけ真剣に介護に向き合ってきたからです。一人で完璧にやろうとしなくていい——これが、現場から伝えたいいちばんのことです。
認知症の初期サインが気になっている方はこちらもご覧ください。
認知症の初期症状チェックリスト
次のステップ(CTA)
夕方の声かけに悩んでいる方は、現場で実際に使われているフレーズをまとめた記事が参考になるかもしれません。
認知症の困りごとシリーズ(あわせて読みたい)
認知症介護の「困った」を、症状ごとに現場目線で解説しています。
- 認知症の初期症状を見逃さない5つのサイン
- 同じ話を繰り返すのはなぜ?対応のコツ
- 「財布を盗んだ」と疑われる(物盗られ妄想)
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- お風呂を嫌がる・入浴拒否の対応
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- 介護に疲れたら(休み方と相談窓口)
- 薬を飲んでくれないときの原因と対応
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