「水分をとって」と声をかけても断られる、コップを用意しても手をつけない――認知症の親を介護するご家族なら、一度は経験する悩みではないでしょうか。実はこれ、わがままでも意地悪でもなく、認知症による脳の変化が関係していることがあります。この記事では、看護師8年・介護福祉士7年の現場経験をもとに、飲んでくれない理由、逆効果になりやすい対応、現場で助けられてきた工夫、そして受診を考えるべきサインまで、今日から使える形でお伝えします。
⚠ すでに「呼びかけへの反応が鈍い」「ぐったりしている」「けいれんがある」といった状態の場合は、この記事を読み進める前に、救急要請(119番)を含めた対応をしてください。
なぜ水分を摂ってくれないのか? 認知症特有の理由
「コップが認識できない」「飲み方の手順を忘れる」という脳の変化
認知症の症状には、記憶障害以外にもさまざまな脳機能の変化があります。水分を摂ってもらえない背景には、次のような症状が関わっていると考えられています。
- 失認:目の前にあるコップを「飲むための道具」として認識できなくなる
- 失行:コップを持つ、口に運ぶ、傾けるという一連の動作の手順がわからなくなる
- 記憶障害・注意障害:飲みかけたこと自体を忘れてしまう
- 遂行機能障害:「喉が渇いた」「水分を摂る必要がある」という判断そのものが難しくなる
こうした症状の出方や程度は、認知症のタイプや進行度によって大きく異なり、すべての方に同じように起こるわけではありません。ただ、いずれも本人の意思とは関係なく起こりうる脳の変化であり、「わがまま」でも「怠け」でもないということを、まず知っておいていただきたいと思います。
「拒否」の裏にある気持ち(BPSDという視点)
「いらない」ときっぱり断られると、家族としてはショックを受けてしまうこともあるでしょう。しかしその拒否の背景には、幻覚や妄想、うつ症状による意欲低下といった、BPSD(行動・心理症状)と呼ばれる症状が関わっていることがあります。
例えば「水に何か入っている」という不安を抱いている場合や、気分の落ち込みから何に対しても意欲が湧かない場合などです。さらに、痛みや便秘、発熱といった体調不良が、こうした症状や拒否の引き金になっていることもあり、原因は一つとは限りません。
水分以外の場面での拒否については、認知症の方の介護拒否への向き合い方で詳しく解説していますので、あわせてご覧ください。
「飲まない」のではなく「飲めない」場合もある
急に水分を摂らなくなったときは、「認知症のせい」と考える前に、身体の変化を疑ってみてください。
- 口内炎や義歯の不具合など、口の中のトラブル
- むせやすくなった、飲み込みにくくなった(嚥下機能の低下)
- 便秘や痛み、発熱などの体調変化
- 薬の影響(利尿薬などで排尿が増え、無意識に飲むのを控えていることも)
- 「トイレが近くなるから」と本人があえて控えている
こうした「飲めない」「あえて飲まない」理由は、原因に対処すれば変わる可能性があります。いつもと違う急な変化に気づいたら、かかりつけ医や訪問看護師に相談してください。
加齢による「喉が渇きにくい」とはどう違う?
高齢になると、認知症の有無にかかわらず、喉の渇きそのものを感じにくくなるという生理的な変化も起こります。この仕組みや脱水のサインについては高齢者の脱水・熱中症予防の記事で詳しくまとめていますので、この記事では認知症特有の理由と関わり方に絞ってお伝えします。
私が訪問看護をしていた頃、ある利用者の方に「お茶飲みますか」と聞くと、決まって「いらない」と即答されていました。ところがそのまま世間話を続けながら、さりげなく手の届く場所にコップを置いておくと、いつの間にか半分ほど飲まれていることがよくありました。聞かれたことに反射的に「いらない」と答えてしまうけれど、本当に水分が欲しくないわけではない――そんな場面を、現場で何度も見てきました(これは特定の方のお話ではなく、現場で繰り返し見てきた場面を組み合わせた典型例です)。
やりがちだけど逆効果になりやすい対応
「お水飲む?」とだけ聞いて、断られたら終わりにする
聞くこと自体が悪いわけではありません。ただ、「飲むか飲まないか」を自分で判断し、答えを組み立てるという作業は、認知症の方にとって思っている以上に負荷の高い作業です。その負荷から、反射的に「いらない」と答えてしまうことがあります。「聞いた→断られた→じゃあいいか」で終わりにすると、実際には必要な水分が摂れないままになってしまいます。
厚生労働省の「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン(第2版)」(2025年3月改定)は、本来は医療や介護サービスの選択といった重要な意思決定を支援するためのものですが、「選択肢を示す」「視覚的な補助を使う」「一度に多くの情報を伝えない」という基本の考え方は、日常の声かけにも参考になります。
「飲んで」と説得する・急かす・叱る
「体のために飲んで」と説得したり、「早く飲んで」と急かしたりする場面もあるかと思います。しかしこうした対応は、本人のプライドを傷つけ、かえって意欲の低下や関係の悪化につながることがあります。介護をする側の焦りは、思っている以上に本人に伝わってしまうものです。
一度に大きいコップ・ペットボトルで飲ませようとする
「たくさん飲んでほしい」という思いから、大きいコップやペットボトルごと渡してしまうこともあるかもしれません。しかし量の多さそのものがハードルになり、かえって手をつけてもらえなくなるケースもあります。これは水分に限らず、薬を飲んでくれない時の対応にも共通する考え方です。少量を何度もという発想に切り替えてみてください。
現場で助けられてきた工夫 ―「飲むか聞く」より「さりげなく手元に置く」
声かけより先に、目に入る場所にそっと置く
私が現場でよく助けられてきたのは、「飲みますか」と聞く前に、本人の生活動線上にそっとコップを置いておくという工夫です。テレビを見ているときの手元、いつも座っている椅子の横など、視界に自然に入る場所に置いておくと、声をかけなくても自然に手が伸びる方が少なくありませんでした。
「飲むかどうかを選ぶ」という負担そのものを取り除いてしまう発想です。合う・合わないは人によりますが、何も言わずに置いておくだけなら断られて傷つく心配もなく、試しやすい工夫です。「聞く前に、置く」――この記事から一つだけ持ち帰るとしたら、この発想の転換をおすすめします。
見えやすくする工夫(色・コントラスト・置き方)
視覚的な認識のしにくさを補うため、次のような工夫も現場でよく使われています。
- 背景と区別しやすい色のコップを選ぶ(白いテーブルに白いコップだと認識しにくいことがあります)
- 透明なグラスより、色のついたコップのほうが水分の存在に気づきやすい場合があります
- 一度にたくさんではなく、少量を何度も置く
「飲む」以外の水分補給も選択肢に
コップで水を飲むことにこだわらず、ゼリーや寒天、果物など「食べる水分」を活用するのも一つの方法です。食事からの水分摂取については、認知症の方が食事を食べてくれない時の対応でも触れていますので、あわせて参考にしてみてください。
ただし、むせやすい方や飲み込む機能が低下している方は、誤嚥(食べ物や水分が誤って気管に入ること)のリスクがあります。ゼリーやとろみの形態を自己判断で進めず、医師・訪問看護師・管理栄養士などの専門職に相談してください。糖尿病や腎疾患のある方は、ゼリーや果物に含まれる糖分などにも注意が必要です。
声かけの工夫(二択・視覚的補助・一度に一つだけ)
どうしても声をかける場合は、「お茶にしますか、お水にしますか」というように選択肢を絞った二択にする、コップそのものを見せながら聞く、一度に一つのことだけを伝えるといった工夫が有効とされています。先ほどの意思決定支援ガイドラインの考え方を、日常の声かけに落とし込んだものと考えていただければと思います。
受診・相談の目安 ― 見逃したくないサイン
迷わず救急要請(119番)も検討すべき状態
次の状態が一つでも見られる場合は、様子を見ずに行動してください。
- 呼びかけへの反応が鈍い、ぐったりしている
- けいれんがある
- 意識がもうろうとしている
早めにかかりつけ医・訪問看護師へ連絡すべき状態
- 吐き気が強く、水分がまったく摂れない
- 尿の回数や量が明らかに減っている、色が濃い
- 高熱を伴っている
- 急にぼんやりする、会話が噛み合わない、日中も強い眠気がある
最後のような急な変化は、せん妄(注意力や意識レベルが急に変動する状態)の可能性があります。脱水はせん妄の代表的な引き金の一つとされており、「認知症が急に進んだ」ように見える変化の裏に、脱水が隠れていることもあります。認知症の進行と自己判断せず、早めに相談してください。
「どのくらい飲めていれば大丈夫?」は事前に確認を
必要な水分量は、体格や持病、服用中の薬によって個人差が大きいため、この記事では一律の数値はあえて示しません。「うちの親は1日どのくらい摂れていれば大丈夫か」を、かかりつけ医や訪問看護師にあらかじめ確認しておくと、日々の「これで足りているのかな」という不安がぐっと軽くなります。
心不全・腎疾患がある方は「とにかく飲ませる」が危険な場合も
心不全や腎疾患などをお持ちの方は、病状によって水分摂取量に制限がかかっていることがあります。「水分は多いほど良い」とは限らず、自己判断で摂取量を増やすことがかえって体の負担になる場合もあります。水分量については、必ずかかりつけ医や訪問看護師の指示の範囲内で調整してください。受診の際に「水分制限があるか」「1日の目安はどのくらいか」「利尿薬など影響する薬はあるか」の3点を確認しておくと、日々の判断がぐっと楽になります。
誰に相談すればいいかわからないときの窓口
「これくらいで相談していいのかわからない」と迷う方も多いのではないでしょうか。かかりつけ医、訪問看護師、ケアマネジャー、地域包括支援センターは、いずれも遠慮なく相談してよい窓口です。一人で判断を抱え込む必要はありません。
介護者自身の心もケアする ― 一人で抱えないために
「なぜ飲んでくれないの」と自分を責めなくていい
水分を摂ってもらえないと、「自分の声かけが悪いのだろうか」と自分を責めてしまう方も少なくありません。しかし、ここまでお伝えしてきた通り、これはご本人の病気の症状であり、介護をしているご家族の対応が悪いわけではありません。
うまくいかない日があって当然(現場でも同じ)
看護師や介護福祉士としてケアにあたっていても、同じ声かけ・同じ工夫が毎日同じように効くとは限りません。日によって、あるいは時間帯によっても反応は変わります。プロでもうまくいかない日はありますので、「今日はダメだった」と落ち込みすぎず、「明日はまた違うかもしれない」くらいの気持ちで臨んでいただければと思います。
頼れる場所は複数ある
在宅で主に介護を担っているのは、同居の家族等が45.9%(配偶者22.9%、子16.2%、子の配偶者5.4%)。さらに、同居で介護する家族の年齢は60歳以上が7〜8割を占めるという調査結果もあります(厚生労働省「2022(令和4)年国民生活基礎調査」)。老々介護と呼ばれる状況の中で、一人で抱え込んでしまう方も多いのが実情です。介護の疲れを感じたときの対処法については、介護疲れを感じたときに読む記事でまとめていますので、あわせてご覧ください。
まとめ
認知症の親が水分を摂ってくれない背景には、失認や失行、記憶障害、遂行機能障害といった脳の変化や、BPSDによる意欲低下、そして口腔トラブルや体調変化など「飲めない」理由が関わっていることがあります。「お水飲む?」と聞くよりも、さりげなく手元に置いておくほうがうまくいくことがあります。ただし、意識がもうろうとしている・ぐったりしているなどの状態は救急要請も検討し、尿量の減少や急なぼんやりが見られたら早めに医療機関へ相談してください。そして何より、うまくいかない日があっても、ご自身を責めないでいただきたいと思います。
今日からできること
まずは一つだけ。声をかける前に、本人の目に入る場所にそっとコップを置いてみてください。
余裕が出てきたら、次の2つもおすすめです。
- 飲めた量とタイミングをざっくりメモしておく(受診・相談のときに大きな手がかりになります)
- 持病のある方は、水分制限の有無と1日の目安を主治医に確認しておく
参考資料
- 厚生労働省「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン(第2版)」(2025年3月改定)
- 厚生労働省「2022(令和4)年国民生活基礎調査」
- ディアケア「BPSDをもつ方への摂食嚥下ケア」(監修:群馬大学大学院保健学研究科 内田陽子教授)
- NHS(英国国民保健サービス)「Dehydration」