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認知症介護で「聞き流す」は冷たくない|専門職も使う技術を看護師が解説

公開: 2026年6月11日

認知症介護で「聞き流す」は冷たくない|専門職も使う技術を看護師が解説

「また同じ話だ」と内心で思いながら、適当に「うん、うん」と返してしまった。その夜、布団の中で自分を責めた、という経験はないでしょうか。

「ちゃんと向き合っていない」「冷たい介護をしている」と感じるかもしれません。でも、少し待ってください。

看護師・介護福祉士として15年、認知症の方々と関わってきた経験から言わせてください。聞き流すことは、専門職の訓練で身につける技術と、同じ方向を向いています。

ただし、流してはいけないものが確かにあります。その見極めが大切です。この記事では、なぜ正論が疲弊につながるのか、どう切り替えると楽になるか、そして見逃してはいけないサインを整理します。


まず、「聞き流しは正しいのか」への答え

最初に結論を示します。


【聞き流していい3つの理由】

① 訂正は記憶の仕組み上、届かない
認知症の多くのタイプでは、新しい出来事を記憶として固定する力が低下しています。そのため、正しく訂正したとしても、数分後にはその訂正そのものが残っていません。「さっき教えたのに」という状況が生まれるのは、本人の頑固さのせいではありません。脳の機能によるものです。

② 否定・訂正は不安を強め、症状を悪化させうる
「違います」「それは昔のことですよ」という正論は、本人にとって自分の現実を全否定されるような体験になります。不安や混乱が高まると、BPSD(行動・心理症状:行動や気持ちに表れるつらい症状のこと)が強くなりやすく、介護者の負担もさらに増えるという悪循環が起きます。

③ あなたが倒れないことが、最大の介護になる
厚生労働省の令和4年国民生活基礎調査では、同居して介護する家族の約7割が悩みやストレスを抱えていると報告されています。疲弊して介護を続けられなくなることのほうが、本人にとってずっと深刻な問題です。


【聞き流してはいけないもの】

こちらは絶対に聞き流さないでください。

特に3つ目は重要です。「いつもと違って急に混乱が強くなった」「突然ぼーっとしている時間が増えた」というのは、認知症の進行ではなく、せん妄(感染症・脱水・薬の副作用などで起きる意識の変調)や身体疾患のサインである可能性があります。

数日単位で急激に変わったときは、翌日を待たず、当日中に主治医やかかりつけ医に相談してください(夜間なら救急相談 #7119 も使えます)。


なぜ、正論で返すと疲れ果てるのか

「お父さんはもう亡くなりましたよ」「今日はもう夕飯を食べましたよね」と正確に伝えようとするのは、当然の反応です。正しいことを言っているのだから、わかってもらえるはず、と思いたくなります。

しかし、ここに根本的なすれ違いがあります。

認知症では、新しい情報を脳に書き込む機能が低下しています。訂正された瞬間に「そうか」と思えても、その体験そのものが記憶として定着しません。だから、同じ話が繰り返されます(同じ話を繰り返す対応についてはこちら)。

訂正するたびに否定された感覚だけが本人に残り、不安や怒りが積み重なります。

その不安が、物を隠す・大声を出す・強い拒否といったBPSDを引き出します。BPSDが強くなるほど、介護者の疲弊も深まります。正論を届けようとする努力が、皮肉にも状況を悪化させる可能性があります。

正論が通じないのは本人の問題ではなく、症状の性質です。わかっていても感情的に消耗するのは自然なことです。そのまま正論をぶつけ続けることは、介護者にとっても本人にとっても、消耗するだけの行為になりやすいのです。


「嘘をついている気がする」への正直な答え

聞き流すことを実践しようとすると、ひとつの引っかかりが出てくることがあります。

「それって、嘘をついていることにならないか」

これは正直な問いです。先に、この記事の立場をはっきりさせておきます。

本記事が提案するのは「訂正を手放すこと+感情に寄り添うこと」であって、積極的に作り話をすること(「お父さんは旅行中ですよ」と架空の話を作る等)ではありません。

そのうえで、現実もお伝えします。認知症ケアの現場では「therapeutic lying(治療的な嘘)」という概念をめぐって、専門職の間でも議論が続いています。英国の研究(2006年)では、認知症ケアに関わる専門職112名に調査したところ、「これまで一度も嘘をついたことがない」と答えたのは4名だけでした。現場の専門職でさえ、ジレンマを抱えながら判断しているのが現実です。

つまり、あなたが感じている葛藤は、プロが何年も向き合い続けている葛藤と同じものです。「迷うこと自体が誠実さの証拠」と言ってもいいくらいです。

「そうなんですね」と返すのは、内容への同意ではありません。「あなたがそう感じているんですね」という感情への応答です。これは嘘ではなく、共感の表現です。

「家に帰りたい」という言葉に「ここがお家ですよ」と返すのではなく、「どんなおうちでしたか」と問い返す。内容の真偽ではなく、その人の気持ちに向き合う。この姿勢が、嘘と共感の境界線です。


専門職が訓練して身につける技術

「聞き流す」「感情に寄り添う」は、実は専門職が意識的に訓練して習得する技術です。あなたが自然にやってきたことは、専門家が目指す方向と重なっています。

バリデーション療法

1980年代にアメリカの社会福祉士・老年学者ナオミ・ファイル(1932〜2023)が提唱した、認知症ケアのアプローチです。認知症の方の言葉や行動を否定せず、その背後にある感情を受け止めることを基本とします。

「家に帰りたい」という訴えに対して、「ここがお家ですよ」と訂正するのではなく、「どんなおうちでしたか?温かい家でしたか?」と問いかける。本人の感情と記憶の世界に入っていく方法です。

現在、世界3万以上の施設で取り入れられているとされ(Validation Training Institute)、日本にも協会と認定資格があります。なお、バリデーション療法については無作為化比較試験(RCT)によるエビデンスはまだ限定的です。「標準的に推奨される考え方」として広まっているものですが、効果を断言できるものではないことは正直に記しておきます。

パーソン・センタード・ケア

1990年代に英国の社会心理学者トム・キットウッドが提唱した理念です。「その人らしさ(パーソンフッド)を尊重する」ことを核心に置きます。

認知症があっても、その人はその人です。否定・叱責・無視・急かすといった関わりは、その人の尊厳を損ない、症状の悪化に直結しやすいとされています。日本の認知症介護に関わる研修の多くで、この理念が基礎に据えられています。

これらのアプローチに共通するのは「内容の正確さより、感情のつながり」という視点です。


明日から使える5つの技術

難しい理論より、明日の朝から使えることをお伝えします。

① 「そうですね」の共感返し

内容への同意ではなく、感情への応答として「そうなんですね」「そうでしたか」と返します。

「また息子が財布を盗んだ」と言われたとき、「違います!」ではなく「それは心配でしたね」。事実を争わず、感情を受け取ります。

② 自然な話題転換

共感したあと、全否定も全肯定もせずに別の話に移ります。

「財布が見つかるといいですね。そういえば、今日のお茶、いつものお菓子にしますか?」という流れです。無理に解決しようとせず、気持ちを別の方向へ向けます。

③ 傾聴と相づち

「うん」「ほうほう」「そうでしたか」という相づちだけでも、本人は「聞いてもらえている」と感じることがあります。真偽の判断を一旦横に置いて、言葉を受け取ります。

④ 一度引く

否定されて怒りが高まっているとき、その場での解決を求めない。「少ししたらまた来ますね」と場を離れることが、双方の落ち着きにつながることがあります。

⑤ 「症状が言わせている」と翻訳する

「この人はなぜこんなことを言うのか」ではなく、「症状がこの人にこう言わせている」と心の中で翻訳する視点です。

怒りや被害的な言葉の矛先は「あなた」に向いていても、原因は「症状」にあります。その言葉をあなた個人への攻撃として受け取らないための、心の距離の取り方です。


対応しきれないときは、一人で抱えない

看護師として、現場で気づいたこと

新人の頃、「正しく伝えなければ」という気持ちで現場に入っていました。「今日は○日です」「それは違います」と、どこか義務感のように訂正し続けていました。消耗しました。

変わったのは、先輩の対応を横で見ていたときです。特別なことは何もしていない。ただ「そうでしたか、大変でしたね」と返して、お茶を一緒に飲んでいた。それだけで本人の表情が柔らかくなっていた。

「感情に寄り添う」は、頭ではわかっていても、訓練がいる技術です。専門職でもそうです。だから家族が疲れるのは当然で、あなたのやさしさが足りないわけでは全くありません。

介護疲れを感じているなら、こちらの記事も参考にしてください


BPSDが強く、対応しきれないと感じたら

攻撃性が強い、夜間の徘徊が続く、食事拒否が深刻になった、など「これ以上は無理」と感じるサインが出たときは、一人で抱えないでください。

主治医や地域包括支援センターへの相談をおすすめします。

かかりつけ医向けのBPSD対応ガイドライン(第3版・2025年公開)でも、BPSDへの対応では薬よりも先に、ケアの工夫(非薬物療法)を検討することが原則とされています。相談することで、薬への依存に頼らない方法を一緒に考えてもらえる可能性があります。

地域包括支援センターは、介護保険の手続きから日常の相談まで対応する窓口です。市区町村のホームページや、厚生労働省のウェブサイトから近くのセンターを探せます。


まとめ:聞き流すことで、あなたは長く続けられる

「聞き流す」は冷たい介護ではありません。それは、本人の感情の世界を尊重し、あなた自身を守り、介護を長く続けるための技術です。

訂正がなぜ届かないかは脳の仕組みによるものです。共感で返すことはバリデーション療法やパーソン・センタード・ケアという専門的なアプローチと同じ方向です。あなたが自然にやってきたことは、間違っていません。

一方、体の訴え・安全に関わること・急な変化だけは、流してはいけません。この2つの境界線を持っておくことが大切です。

介護は長距離走です。正論で力尽きるより、感情に寄り添いながら歩み続けるほうが、本人にとっても、あなたにとっても、よい結果につながることが多いと思います。


認知症介護シリーズ

このブログでは、認知症に関わる家族向けの記事をシリーズで書いています。


次のステップ

今日から、訂正しようとする言葉を一度飲み込んで、かわりに「そうなんですね」と返してみてください。それだけで始められます。


主な参考資料

※統計・制度・ガイドラインの情報は各公表時点のものです。本記事は診断・治療の代わりとなるものではありません。


執筆者:宮田浩行
看護師・介護福祉士。医療・介護の現場に15年携わったのち、医療ライターとして執筆活動中。現場で培った経験をもとに、一般の方に届く医療・介護情報の発信を続けています。


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