「最近、夫が『おまえは浮気しているだろう』と毎日のように責めてくるんです。もう疲れ果ててしまって」
外来の待合室や介護者相談の場で、こんな言葉を聞かせてもらうことがあります。長年連れ添ってきたパートナーに「不貞を働いた」と責められる。その苦しさは、介護の大変さとはまた別の痛みです。
これは「嫉妬妄想(しっともうそう)」と呼ばれる、認知症でみられる症状のひとつです。本人がわざと傷つけようとしているわけでも、家族の対応が悪かったわけでもありません。脳の病気が引き起こしている症状です。
この記事では、嫉妬妄想がなぜ起きるのか、どう関わればよいのか、そして疲れ果てた介護者自身をどう守るかについて、現場での経験も交えながらお伝えします。
嫉妬妄想とは何か——脳の中で何が起きているのか
認知症でみられる妄想、どれくらいの頻度か
認知症の方に妄想がみられる割合は、全体のおよそ15%とされています(認知症ねっと・東京都の調査に基づく数字)。
嫉妬妄想に限ると、アルツハイマー型認知症(AD)では約5.5%。ただし配偶者がいる方に絞ると9.1%に上がります。さらに、レビー小体型認知症(DLB)では26.3%と、アルツハイマー型の約5倍に達するという報告もあります(橋本衛・近畿大学、老年精神医学雑誌2021)。
つまり、珍しすぎる症状ではありません。あなたの家族に起きていることは、同じように苦しんでいる多くの家族も経験していることです。
脳の中で何が起きているのか
嫉妬妄想は「作られた嘘」でも「意地悪」でもありません。認知症によって記憶・認識・判断や、不安をうまく処理する力が低下することで、目の前の状況を正しく確かめることが難しくなります。
その背景に、「自分は役に立てていないのではないか」という喪失感や、「見捨てられるかもしれない」という不安が重なることもあります。脳がうまく整理できなくなった結果、「パートナーが浮気している」という形で外に出てくることがあるのです。
なお、根拠のない嫉妬にとらわれる状態は、医学的に「オセロ症候群」と呼ばれることがあります。シェイクスピアの戯曲『オセロ』の主人公が、確かな証拠もないまま妻の不貞を信じ込んでいく物語に由来する言葉です(認知症に限らず使われる用語です)。
嫉妬妄想が急に出てきたときは、体の不調が隠れているサインの場合もあります。発熱・脱水・感染症や、薬の影響などが引き金になることもあるため、「認知症だから」と決めつけず、体の状態も確認してもらうことが大切です。
一番大切なことをお伝えします。本人にとって、これは完全な現実です。 「そんなことない」と言っても届かないのは、相手が頑固なのではなく、脳の中では本当にそう見えているからです。
認知症の初期症状として何が起きているかについては、認知症の初期症状とはもあわせてご覧ください。
やってしまいがちな対応——でも家族を責めているわけではありません
「証拠を見せて否定した」「泣きながら誓った」「一緒に怒った」——相談の場でこういう話を聞かせてもらうと、「それしかなかったですよね」と思います。誰だって同じことをします。
ただ、いくつかの対応はかえって症状を強めたり、関係がこじれやすくなったりすることがあります。知っておくだけで、少し楽になれるかもしれません。
「証拠を出して論破する」——かえって逆効果に
通帳、スマートフォン、外出記録。「こんなに証拠があるのに」と見せても、妄想が消えることはほぼありません。むしろ、「私の言うことを信じてくれない」という不信感が積み重なり、妄想が強くなることがあります。
論理で解決しようとするアプローチは、妄想に対してはあまり機能しません。脳の認識の問題だからです。
「内容に同調する」——これも妄想を育ててしまう
「つらかったね」と感情を受け止めることと、「確かに浮気しているね」と内容に同意することは、まったく別物です。
前者はとても大切な関わりです。後者は、妄想の内容を「本当のこと」として定着させてしまうことがあります。
ここは少し難しいところです。同調しなければ怒る、でも同調すると悪化する。その間で正解を探そうとして疲れ果てている方がたくさんいます。
「自分を責め続ける」——それだけはしないでほしい
「私の対応が悪かったから悪化したんじゃないか」と言う方がいます。そんなことはありません。この症状は、脳の病気の経過として現れるものです。家族が何かをしたから出てきた症状ではないのです。
今日から試せる5つの関わり方
「では、どうすればいいか」——具体的にお伝えします。完璧にやろうとしなくて大丈夫です。できそうなことから、ひとつだけ試してみてください。
1. 感情をラベリングする声かけ
「そんなことない」の代わりに、感情そのものを受け止める一言を使います。
「それは不安だったね」「ずっと心配してたんだね」「そう感じてたんだね」
内容を肯定しているわけではなく、「あなたの気持ちは受け取った」と伝えるイメージです。これだけで、場の緊張がわずかに和らぐことがあります。
それでも興奮が収まらないときは、無理に話を続けず、いったん切り上げるのも一つの方法です。「今はつらいね。少しお茶でも飲もうか」「この話はあとでまた聞くね」と、責めずに話題や場面を変える”逃げ道”をつくってあげてください。
具体的な言葉の使い方は、認知症の家族対応フレーズ50選にまとめていますので、参考にしてみてください。
2. 役割と居場所をつくる
嫉妬妄想の背景には、「自分は必要とされていないのではないか」という感覚が隠れていることがあります(原因はひとつではなく、認知症のタイプや体調などさまざまな要素が関わります)。
「ちょっと手伝ってもらえる?」「あなたがいてくれると助かる」——そういった言葉が、本人の安心感につながることがあります。家事の一部を一緒にやる、散歩を習慣にする、など、「居場所がある」と感じられる時間をつくることが助けになることがあります。
3. 引き金となる環境を減らす
嫉妬妄想が起きやすい状況には、ある程度のパターンが見られることがあります。たとえば、家族が外出する直前直後、本人が疲れて不安になりやすい夕方以降の時間帯、テレビの浮気ドラマや芸能ニュースなど(あくまで一例で、ご家庭によって引き金は異なります)。
すべては難しくても、引き金をひとつ減らすだけで頻度が変わることがあります。環境調整について迷ったときは、お住まいの地域の地域包括支援センターに相談してみてください。介護の専門家が一緒に考えてくれます。
4. 介護者自身の「ひと息つく時間」を確保する
これは5つの中で、実は一番大切なことかもしれません。責められ続けると、介護する側の心がすり減っていきます。1日15分でも本人と物理的に距離を取る、別室でお茶を飲む、信頼できる人に電話する——そんな小さな”避難時間”を意識してつくってください。具体的な相談先や休み方は、記事後半の「介護する家族を守るために」で詳しくお伝えします。
5. 薬については必ず医師に相談を
認知症の妄想などの症状(BPSD)に対しては、まず薬を使わない関わりが第一選択とされています(「BPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン第3版」2025年・日本認知症学会ほか6学会合同)。
薬の使用は、薬以外の対応を試みたうえで医師が必要と判断した場合に検討されます。抑肝散という漢方薬がBPSDに用いられることがありますが、自己判断で飲ませることはせず、必ず医師の診断と処方のもとで使ってください。漢方薬にも他の薬との飲み合わせや副作用があり、ご家族の自己判断はかえって危険です。「薬を飲ませれば解決する」という性質のものではなく、関わり方との組み合わせが大切です。受診の際に「薬以外の工夫も教えてほしい」と伝えてみることも、ひとつの選択肢です。
物盗られ妄想・被毒妄想との違いと共通点
認知症でみられる妄想には、嫉妬妄想のほかに「財布を盗まれた」という物盗られ妄想、「食事に毒を入れられた」という被毒妄想もあります。
それぞれの対応については物盗られ妄想への対応、被毒妄想への対応も参考にしてください。
共通しているのは、否定や論破が症状を悪化させることです。どの妄想も、内容の真偽ではなく感情を受け止めることが基本になります。
ただ、嫉妬妄想には他の妄想にはない特徴があります。それは、ほぼ毎日顔を合わせている家族そのものが「加害者」として標的になるということです。
物盗られ妄想であれば、その場の家族は「味方」でいられることも多い。でも嫉妬妄想では、最も身近にいて、最も一生懸命ケアしている人が責められ続けます。ダメージが大きいのは当然のことです。
受診の目安——こんなときは早めに動いてください
すぐに受診・相談が必要なサイン
次のような状況があれば、ためらわず医療機関か専門の相談窓口に連絡してください。
- 本人から暴力・暴言が激しくなっている(まず安全を確保することが最優先です)
- 介護する家族が心身ともに限界に来ている
- 嫉妬妄想が急に出てきた、または急激に悪化した
特に、症状が急に現れた場合は要注意です。せん妄(発熱・脱水・感染症などが引き起こす意識の混乱)や、脳梗塞などの身体的な原因が隠れていることがあります。「認知症だから」と見過ごさず、体の状態を確認してもらうことが大切です。
身の危険を感じたら、我慢しないでください。 手が出る・物を投げるといった状況では、いったん別の部屋に離れる、刃物や危険な物を本人の手の届かない場所に移す、危ないと感じたら迷わず110番に通報する——介護者自身の安全が何よりも優先です。それは決して「冷たい対応」ではありません。
受診のときに伝えるとスムーズなこと
限られた診察時間で医師に状況が伝わるよう、次のようなことをメモして持参すると役立ちます。
- いつ頃から症状が出始めたか/どのくらいの頻度か
- 起こりやすい時間帯や状況
- 睡眠・食欲・排泄の様子、発熱や脱水がなかったか
- 最近の薬の変更
- 暴力・暴言の有無、幻が見える様子(幻視)がないか
どの科を受診するか
まずはかかりつけ医に相談するのが入り口として動きやすいです。そこから「もの忘れ外来」「神経内科」「精神科」「老年精神科」などの専門機関に紹介してもらえます。
「何科に行けばいいかわからない」というときも、かかりつけ医や地域包括支援センターに相談すれば案内してもらえます。
治療の見通しについて
専門誌(J Clin Psychiatry, 2015年)に掲載された報告では、嫉妬妄想がみられた18人という限られた人数を対象にした観察ではありますが、治療を受けた方の多くで、12か月以内に症状が落ち着いたとされています。
小規模な研究のため「これだけの割合で治る」と保証できるものではありませんし、すべての方が同じ経過をたどるわけでもありません。それでも、適切な治療や関わりによって症状が和らぐ方が少なくないのは、現場でも感じるところです。「必ず治る」ではなく「よくなる可能性がある」ものとして、まず受診という一歩を踏み出してみてください。
介護する家族を守るために
「脳の病気の症状だ」とわかっていても、毎日責められ続ければ消耗します。「わかってる、でもつらい」という感覚は、当たり前のことです。
「脳の症状」をお守りにする
責められたとき、心の中でそっとつぶやいてみてください。「これは脳の病気の症状だ」と。
感情の嵐の中でこれを思い出すのは難しいことも多いですが、頭の片隅にあるだけで少し楽になることがあります。私が現場で出会ってきた家族の方も、この言葉をお守りにしているという方が少なくありませんでした。
一人で抱え込まないための相談窓口
地域包括支援センター(市区町村に設置)
介護のことなら何でも相談できる、最初の窓口です。「(お住まいの市区町村名)+地域包括支援センター」で検索すると、担当のセンターが見つかります。すでにケアマネジャーがついている場合は、まずケアマネジャーに相談するのが早道です。
認知症の人と家族の会(フリーダイヤル:0120-294-456、平日10時〜15時)
同じ経験をしている家族と話せる場です。「わかってもらえた」という安心感が得られます。
認知症カフェ(全国に7,900か所以上。厚生労働省関連調査、2021年時点)
専門家や同じ立場の家族と、気軽な雰囲気で話せる場所です。市区町村の窓口や地域包括支援センターで場所を教えてもらえます。
レスパイトは「逃げ」ではない
ショートステイやデイサービスを使って、介護から一時的に離れる時間をつくることをレスパイトといいます。
「置いていくようで申し訳ない」という声をよく聞きます。でも、介護者が倒れてしまえば介護は続けられません。休むことは、長く介護を続けるための大切な選択です。
介護疲れを感じているときのこころの整え方については、認知症介護に疲れたと感じたときもあわせてご覧ください。
まとめ
認知症の嫉妬妄想は、脳の病気が引き起こす症状です。本人の意地悪でも、家族の対応の失敗でもありません。否定や論破はかえって逆効果になりやすく、感情を受け止める関わり方が基本になります。症状が急に出てきたときや、暴力・家族の限界があるときは、ためらわず医療機関や相談窓口に連絡してください。
一人で抱え込まないでください。あなたの苦しさは、ちゃんと話を聞いてくれる場所があります。
次のステップ
一人で悩み続けるより、まず誰かに話すことが一番の一歩です。認知症の人と家族の会(フリーダイヤル:0120-294-456、平日10時〜15時)に、今の状況を話してみてください。同じ経験をしてきた家族が、あなたの言葉を受け止めてくれます。
参考文献・参考資料
- 橋本衛「認知症患者における嫉妬妄想の病態と治療」老年精神医学雑誌 第32巻第6号, 2021年
- Hashimoto M, et al. “Clinical features of delusional jealousy in elderly patients with dementia.” J Clin Psychiatry. 2015年(PubMed ID: 25939090)
- 日本認知症学会ほか6学会合同「BPSDに対応する向精神薬使用ガイドライン(第3版)」2025年
- 厚生労働省 認知症施策、および認知症カフェに関する調査研究報告書(2021年時点の設置数)
- 公益社団法人 認知症の人と家族の会
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、診断・治療に関する判断は必ず医師にご相談ください。
執筆:宮田浩行(看護師・介護福祉士)
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